稽留流産の記録

1度目の妊娠で稽留流産と診断され手術をした、その記録です。

流産の可能性

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会社には休みをもらい、病院が開くと同時に入った。
出血している旨伝え、待合室で祈りながら待つ。

症状を伝え、診察。
お願い、お願い、心拍が見えますように。出血は何の関係もありませんように。

けれど聞こえた言葉は「残念だけど・・・」だった。

卵はわずかだが育っていて、先週より5ミリくらい大きくなっていた。
だけど赤ちゃんの影はまったく見えない。
出血は子宮から。詳しいことは分からないが、おそらく流産しかかっているとのことだった。

涙が溢れだしてきた。
人前で泣くなんて恥ずかしいけど、一度出たら止まらなかった。
現実が受け入れられない。

先生が出した選択肢は3つ。

①子宮を安定させる薬を飲んで、一週間安静にして待つ。
仕事は休み、家にいること。ただし、それをしたからと言って胎芽が見える保証はない。
今の時点で胎芽が見えないのは、生理周期が長いことを考えても、遅すぎる。

②自然に出てくるのを待つ。
その場合、夜間に出てくることが多いが、この病院は夜間やっていないので、
夜間もやっている大きい病院にかかった方がよい。

③手術をする。
この病院では手術はできないので、ほかの病院にかかることになる。

先生は、私が泣きすぎて混乱しているので、一度家でご主人と話して決めた方がよいと言っていた。
一旦、子宮を安定させる薬というのを処方してもらって、一旦家に帰った。

家に着いた途端、声をあげて泣いていた。
声にならない声だった。ひたすら泣きじゃくった。

流産とか手術とか、受け入れられない言葉ばかりだった。

妊娠したら、なんだかんだ危険はありつつも、
当たり前のように出産までこぎつけるものだと思っていた。
なのになんで・・・

泣きながら、旦那と母にメールを入れた。
ひとしきり泣いたからか不思議と少し冷静になっていて、
病院にいるときはまだ赤ちゃんが育つ可能性にかけていたのに、
このときはすでにもうだめなんだ、という事実を受け入れていたように思う。
受け入れていたというより、もうそれが現実なんだと諦めていたに近い。
旦那にはなるべく早く帰ってきてもらえるようお願いした。

ベッドで横になりながらまた泣いて、
泣き疲れて寝てしまっていたときだった。

チャイムの音。モニターをのぞくと母がいる。
母が仕事を早上がりして、うちに来てくれたのだった。

母の顔を見てまた泣いてしまう。
けれど眠ったからだろうか、頭は少しすっきりしていた。
考えは大体まとまっていた。
「本当はまだ赤ちゃんが育つ方にかけたい。けど、
 成長がどう考えても遅すぎる。
 今週仕事をすべて休んで、薬を飲んで育つ可能性にかけるには、成功確率が低すぎる。
 流産という事実を受け入れて、手術にしろ自然に出るのを待つにし、とにかくほかの病院を探す必要がある。
 もう一度今日の病院に行って、大きい病院へ紹介状を書いてもらおうと思う。」
というようなことを話した。旦那と相談する前だったけど、おそらく同じような結論になると思っていた。

母も、悲しいけれどそれがいいと思うと、同意した。
母は医療従事者であり、職場に女性も多いので、
流産の経験者がかなり多いことを教えてくれた。
自然流産でもいいけど、それがうまくいかず感染症になった人の話もしてくれて、
母としては手術を進めるとのことだった。
私としても仕事もあるし、自然流産を待って何日も休むわけにもいかないので、
怖いけれど手術しかないだろうと思っていた。

ひとしきり話した後、母はロールキャベツを作ってくれた。
ほかにも私の好きなケーキやプリンや、いろいろ買ってきてくれていた。
こういうときのこういう優しさは身に染みる。

夕方には旦那も急いで帰ってきてくれて、
やっぱり概ね同じ結論になった。

この日、一人じゃなくてよかったなと今でも思う。
つらくてつらくて、この日は結局ずっと泣いたり泣き止んだりしていたけど、
支えてくれる人がいると、泣いてるだけじゃだめだという気になる。

まずは今週金曜をめどに再度今日と同じ病院へ行って、
赤ちゃんがいないことをしっかり確認し、大きい病院への紹介状を書いてもらうことにした。

先が明るくない未来と分かっていても、進まなければいけない。