稽留流産の記録

1度目の妊娠で稽留流産と診断され手術をした、その記録です。

掻把手術 3日後 振り返って

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昨日の午後あたりから下腹部が重くなって、やや出血が増えた。
そしてこの日はそれが強くなっていた。
ガマンできないほどではないけれど、普段あまり生理痛のない自分にとっては、
少ししんどかった。まだあまり外に遊びに行く気にはなれない。

手術が終わってから幾度となく、
今回の流産の意味を考えていた。

私なりに出した答えは、私がまだお母さんになる準備ができていないことを教えてくれた、と思っている。

まずは精神的に未熟だった。
妊娠が分かったとき、嬉しいくせに私は
「今仕事頑張りたい時期なのにな」などと言っていた。
流産が判明してからどれほどこの言葉を後悔したか知れない。
こんなこと言ったから、赤ちゃんは私の前に現れなかったのかもしれないと。
後悔はしたけれど、でも本音の一部であったのは事実。
たぶん私の子は私に似ているから、「あ、こいつまだ覚悟できてないな」と悟ったのかもしれない。
出産を望む女である以上、キャリアか家族か、一時期は選ばなければならない。
それをのらりくらりとかわしていた私に、「ちゃんと覚悟しないとだめだよ!」と教えてくれたのだと思うことにした。

そして身体的な面の未熟さ。
夜更かしする、朝ごはんは食べない、便秘がち、そのくせお腹を冷やして寝てしまう、
仕事で疲れたらすぐ出前、栄養バランスを考えているとは言い難い食事、休みの日は運動せずにだらだら・・・
少し挙げただけできりがないほど、私は自分の健康に気を使っていなかった。
けれど妊娠をしたことでこれらの行動を見直すことになったし、
流産をしたことで、更に改善を図る気持ちになった。
今は妊娠が出産とイコールではないとはっきりと分かる。
初期の流産はお母さんのせいじゃない、と本にもネットにも書いてあるし、周りの人にも言われたけれど、
やはりどうしても自分を責めてしまう部分がある。
今後の自分が納得できるようにしていきたい。

最後に知識的な面の未熟さ。
妊娠の週数の数え方も知らなかったし、
流産がこれほど確立の高い現象とも知らなかった。
流産を繰り返しながら不妊治療をしている人の心の痛みを察することもできなければ、
周りのお母さん達が当たり前のように子供を産み育てていることがどれだけ奇跡的なことかも分かっていなかった。
今回の経験を通して、子供を産み育てることがどれだけ奇跡的なことで、
それをする為の過程がどれだけ困難なものかを少しでも分かることができた。
二度と体験したいものではないし、今後の妊娠でもしまた、と思うとものすごく怖い。
でも子供を産むということに関する価値観が変わったのは、この経験のおかげだと思う。

今回流産した理由がなんであろうと、何か意味があってやってきてくれたのだと思う。
きっと私の子供は、意味もなく私を泣かせるようなことはしないはず。
今はまだ精神的にはしんどいけれど、確実に自分の糧となっていると信じて前に進んでいきたい。